歯科医にとって大切なことは?

 

先日、同級生が母校の教授に就任され、そのお祝いの会が同級生有志によって

開かれました。

 

最低年齢54歳の会です。いわゆる同窓会で昔を懐かしむということが

あまり好きではない私は、これまで何度かあった同期会に欠席してきましたので思えば20年振りの同期会参加でした。中には歯科大卒業以来(つまり30年) 会ってなかった同級生もいて、しかも体型を初めとして大きな肉体的変化をされている方々も少なからずおられるため、しばらく目の前にいるのが誰なのか分か らないこともありましたが、今回教授になったT君は人格的にも資質的にも優れた男だったので、みんなが心から教授就任を祝福する本当に温かい会となりまし た。出席してよかったと思いました。

私が三年前に歯科専門誌に連載していた文章を読んでくれていた友も何人かいて

「清水、読んでたよ。同級生として嬉しかった」などと言われると、柄にもなく「同級生っていいもんだな」などと感じたりもしました。さて、そんな中、歯科 医院の経営者として正に成功している友人A君がこんなことを言いました。「歯医者ってさあ、工夫じゃん。どう工夫するかでしょ、大事なのは」若いころの私 だったら「異論あり!」と議論をふっかけたかもしれませんが、そこは50代半ばの男子、抑制も効きますし何しろ今日は友人の教授就任祝賀会というおめでた い席。

「ああ、なるほどね」と受け流しました。

 

A君は学生時代から現在まで本当に勉強をしない人です(笑)。学生時代、試験前日に

「清水、明日の試験、どこ出る?」と私の下宿にやってきたことも数回あり、

あまりに勉強していないので、他人ごとながら心配になるほどでした。

でも、持って生まれた人をひきつける才能と困っている人に対する時の温かい人柄、そして手先の器用さは特筆すべきものです。ですから彼自身の「俺は勉強はしない。でも患者が(たくさん)くるんだから俺のやり方はこれで良いということだ」という発言通り、

開業歯科医としてはそれでよいのかもしれません。ひとそれぞれですから。

しかしながら、「歯医者って工夫じゃん」という意見には「その通りだね」とは

言えません。たしかに工夫は大切で、私も日々自分なりに工夫し、他の同業者の工夫を

自分でも取り入れ、少しでも患者さんのお役に立ちたいと思っています。

でも、歯科医師は“医師”です。工夫して、見た目が綺麗に詰められたとかだけでなく、今目の前の患者さんに起こっていることを、細胞レベルのことから(あ るいはもっとミクロな遺伝子レベルのことから)、心身医学的だったり、もっと言えば文学的だったりする、つまり科学だけではどうにもできないことまで察知 し理解できるように努めなければ

ならない、患者さんを様々な方向から診なければならない、そうありたいと思うのです。

 

今年に入って何冊かの専門書(これがどれも高価なんです!!)を読み、それぞれ多くの

知識と示唆を与えられましたが、中でも病理学者・下野正基先生の「治癒の病理」は素晴らしい本でした。ちなみに19950円。

痛いってどういうこと?腫れているってどういうこと?

治るってどういうこと?糖尿病を患っている患者さんはどうして歯周病が治りにくいの?

口の中の細菌が誤嚥性肺炎や心内膜炎を起こすのはどうして?、、、、、

歯科医として約30年の経験を持っている私は、もちろんそれらに対して“一応”答えることができるし、患者さんにも数えきれないくらい説明してきました。

しかし!!「治癒の病理」を読んで、その知識がいつの間にか自己流の理解に過ぎないものになっていたことを思い知らされました。

日々私が接しているエナメル質、象牙質、歯髄(歯の神経)、歯肉、歯を支える骨、

などなど、それらに対する膨大な量の知識の集積がまだまだ自分には欠けていました。

私も事あるたびに「基礎医学」に立ち返ってきたつもりでしたが、最新の病理学に触れ、この分野の勉強不足を痛感しました。

 

10数年前、自分自身の歯科医師としてのあり方、進み方に迷っていた時、友人の

精神科医がこう言いました。

「一日100人以上患者さんがくる歯科医院もあるでしょうし、一日5人しか患者さんが

こない歯科医院もあるでしょうが、大切なことは自分の医院に来院される患者さんにとって掛け替えのない歯科医師になることです」

 

たびたび思い返すこの友人の言葉を、今夜も思い出してしまいました。

(一日5人では、さすがに倒産してしまいますが、、、、)

 

さて、最近読んだ本の中で皆さんにお薦めしたい本があります。

高岡和子著「さようなら十七歳 海と心の詩」です。

詩人としての有り余る才能、あるいは繊細すぎる感性ゆえにか、十七歳で

湘南の海に身を投げて自死を選んだ少女詩人の作品集が、その詩に感銘を受けた

何人かの想いと努力によって現代に甦りました。

中学二年生のころの瑞々しい作品が次第に研ぎ澄まされ、彼女自身を追い込む、、

否、彼女が何かに惹かれ引かれてゆく様子がその作品に表れ、、、、

私の筆力ではうまく言い表すことができません。

忙しい毎日の中でしばし時間が止まる読書体験でした。