2013年の年末に感じること

今年も、四半世紀以上前からおつきあいしている患者さんから新しい患者さんまで、多くの患者さんと関わってこられたことを感謝します。

当院が歯科心身症の治療を行っているといういうことで、ずいぶん遠方から来院される患者さんもいらっしゃいます。残念ながら、私の力量では治すことができない場合もありますが、
ず~~っと痛みや違和感や不安で悩まれていた患者さんに、少しでも新たな希望が
生まれるように微力ながらベストを尽くしてきたつもりです。今年最後の院長ブログは、そんな患者さんに問診した中で感じたことを書きます。

患者さんの訴える痛みや違和感の原因が必ずしもお口の中にないこともあるし、
あったとしても、その原因だけではとてもそこまでの痛みはひきおこさないだろうということもあります。
でも、患者さんが“そう感じている”ということは、現実にそこに
“そうした病気”、、、病気といってしまうと言い過ぎかもしれませんので、
“そうした上手くいっていない状態”(英語だとdisorderでしょうか?)のほうが
よいかもしれませんが、とにかく“お困りの状態”は現実にそこに在るのです。
 歯や歯肉のことしか視野にいれてなければ原因は分からないかもしれないけれど、“現実にそう感じてしまう”原因はどこかにあるはずです。
そんな患者さんに対し「そんな症状聞いたこと無い」「この咬み合せで、そんな症状はあり得ない」「気のせいでしょう」と言ってしまう歯科医がまだまだ多いのだなと、患者さんに今までの経緯をうかがっていて感じます。

先ほども書きましたとおり、私には治せない患者さんもおられます。
でも、症状にきちんと向かいあうことで、この患者さんのために自分が何をすればよいかは自ずと分かってくることが多いです。

そしてもうひとつ感じるのは「咬み合わせ神話」に代表される“歯科医にありがちな思考”です。大変僭越な発言ですが、歯科界の偉い大先生は私のブログなど読んでいないだろうという推測のもと、言い切ってしまいます、ははは。

私もたくさんのことを学ばせていただいた北里大学精神科教授の宮岡等先生(歯科医と共同で治療するリエゾン診療を行っている)が「歯科医と一緒に仕事をして驚いたこと」として、かつてこのようなことをおっしゃっていました。
「一般医科の医師は、他の治療者のところで治らなかった患者が自分のところに
来院すると、何人もの医師が治療して治らなかったのだから、これは自分にとっても難しいと考えるが、歯科医師は“ここが腕の見せどころ”とばかり私が治してみせると張り切る傾向がある」(大意:文責・清水)

私がこの分野を勉強し始めた1998年頃に読んだ「歯科医のための心身医学•精神医学」にも、宮岡先生は以下のように書いておられます。

いろいろな歯科医と話すうちに、「過去の治療でうまくいかない?それなら自分がこの腕で治してやろう。ここが自分の腕の見せ所だ」と考える歯科医師が意外に多いことを知った。精神科の場合、患者が「いくつかの病院を受診したが治らない」と訴えて受診したとしても、「この病院でもそれほど新たな治療はできない」と説明せざるを得ないことが多く、それに患者の同意が得られたら、治療を開始する。同じ医師でありながら、この違いは驚きであった。歯科口腔外科医の持つ、このある種の自信は、過去に歯科や口腔外科で受けた治療に対する不満を口にする少なからぬ数の患者と無関係ではあるまい。
(以上、「歯科医のための心身医学 精神医学」より一部抜粋および編集/文責清水)

歯科心身症領域の患者さんに今までの病歴(どのような症状が出て、どのような治療を受けてきたか、その結果どのように症状が変化したか)を伺って感じることは
まだまだ「咬合神話」がはびこっているのだなということです。
私は咬合の専門家ではないし、自分の治療に自信満々ではありませんが、
(そして、誤解のないように言っておきますが、“咬合=かみあわせ”は重要だと
もちろん認識しています)
どうして、“人間という複雑怪奇な存在”の一部分である歯や口腔、咀嚼筋などについて、つまり“心”というとらえどころの無いものを持っている人間という存在の臓器について、そんなにも簡単に「咬み合わせを治せば、すべてよくなります」というようなことを患者さんに言ってしまうのかな?と感じます。それは、「大丈夫、
精神的なものですよ」と安易に言ってしまうことも同様です。私は
「精神的なものかどうかは精神科医が診断する」という宮岡先生の言葉をよく
思い出します。

、、、、、と、風呂敷はひろげたものの、まとまらない話になってしまいました。
年末のチョー忙しい時期に、こんな難しいテーマで書き始めたことを後悔していますが、「愛とは決して後悔しないこと」というたしか中学二年の時に観て感動した「ある愛の詩」という映画のセリフ、、、、、あ、もっとまとまらなくなってしまいそうです。すみません。

最後に、「咬み合わせ」について多くの執筆者によって書かれ、顎関節症治療に関する過去の捉え方から現在のきちんとした研究データに基づいた考え方まで広く紹介してくれる良書「TMD YEAR BOOK 2011・アゴの痛みに対処する」より引用します。専門的な内容ではありますが、皆様の参考になれば幸いです。

それでは、来年もよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えくださいませ。

●顎関節症の患者が来院すると、“顎関節症”と“咬合”の診察から、その症状と原因を短絡的に点と点で結んでしまい、安易に非可逆的な治療、すなわち咬合調整、補綴治療や矯正治療を行ってしまう歯科医師が今でも存在することは否定できない。

(清水註:非可逆的とは後戻りできない治療のことで、簡単に歯を削ってしまうことなどを指します。咬合調整とは、概ね、“歯を削ることにより咬みあわせを治すこと”で、もちろんその処置が必要な口腔疾患や症状もあります。補綴治療とは、歯に金属やセラミックなどの詰め物、被せ物をすることです。矯正治療とは、“歯を動かすことにより患者の訴えを改善させる治療”と解釈してよろしいかと思います)

●顎関節症とTMD(temporomandibular disorders)の定義は、厳密には若干異なるが、ほぼ同様の状態を指す言葉として、日本語では顎関節症、英語ではTMDが用いられている。
かつては、咬合がTMDの主たる原因と考えられていた。したがって、TMDの治療法も咬合調整や補綴治療あるいは矯正治療など、咬合状態を不可逆的に変化させる治療が多用された時代があった。しかし近年では、TMDの病因は多因子である、咬合がTMDの病因として果たす役割は小さいと考えられている。

●咬合因子はTMDのリスク因子の1つであることは否定されない。しかしながら、現在までに行われた研究結果を包括すると、咬合因子が最重要因子となっている症例は決して多くないものと考えられる。にもかかわらず咬合因子がTMDの原因として重要視されいまだに多くの咬合治療が行われている。これにはいくつかの理由が考えられる。1つは咬合因子がTMDの最重要因子であるとした場合、歯科医師は適切な治療法を提供することができる唯一の健康管理の専門家となるため、TMDの原因としての咬合因子の役割を否定するあるいは重視しないことを潔しとしない歯科医師が多いためであると考えられる。

●TMDは本来筋骨格性の疾患であるが、悪化や慢性化(難治化)には心理的要因が大きく関与する。身体的要因の診査のみならず、すべての症例において、心理社会的要因を診査する必要がある。痛みが遷延すると(長引くと)中枢性疼痛に移行し、難治化することがある